帰国&税関での出来事
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編集後記
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いかがでしたでしょうか? 今回はイライラがほとんどない旅でした (*´Д`)=зメズラシィ カンボジアという国を選んだきっかけは “アンコール・ワットを見てみたい”というのもありましたが 日本ではほとんどその実態を知ることができない神秘のベールに囲まれた国 知らないからこそ自分の目で見てみたい そんな思いから (*´∀`*) もうひとつ日本でよく見かける “カンボジアに愛の手を” と募金を呼びかける箱 カンボジアってそんなに貧しい国なの? いつもいつも寄付が必要なの? ずっと持ち続けていた疑問への答えをさがしたいと思ったこと
管理人の出した答えは “ものがない = 貧しいではない” 先進国に生まれ育った管理人にとってカンボジアの人々の暮らしは決して裕福とは思えない 当たり前の日用品はないし 水の確保もままならない 道路も舗装されていない それでも単純に “貧しい” とは思えないなにかがある “その日一日を暮らせればそれでいい” 生きるために欲しいものは手に入る 見たことのないものを欲しがることなんてない もともと彼らたちの生活には存在しないものなのだから
先進国から完成品を持ち込むことで “手に入れたい” という欲望を生み出し 人々が “貧しい” ということを認識するのではないだろうか? もちろん日々の糧すら手にできない人たちがいるのも事実 しかし先進国の価値観で “おせっかい” をやくことが “がんばって働いて手に入れるお金も 援助されるお金も一緒 自分たちは貧しい だから援助してね” という考え方をカンボジア人に抱かせるのなら 果たしてそれはカンボジアの未来のためになっているのだろうか?
敗戦後の日本は “なにくそ” という精神で国を復興させた “その日” ではなく “未来” のため 考え方の根底が違うのだ 今のカンボジアに援助は必要かもしれない ただし援助の方法を考えなくてはならないなぁと はっきりと感じとった旅行でした
最後に長文を読んでくださいました方々に深く御礼申し上げます m(_ _)m 次は中央アジアあたりに逝ってみたいなぁ |